【増上寺 概要】
増上寺(ぞうじょうじ)は明徳4年(1394年)とされ600年以上の歴史を重ねている寺院であり、浄土宗第八祖•酉誉聖聴聰(ゆうゆしょうそう)上人によって室町時代に開かれました。安土桃山時代の天正18年(1590年)、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として選ばれ慶長3年(1598年)に現在地に移転、江戸幕府の成立後は家康公の手厚い保護を受けました。この場所はかつての江戸城から見て上野の寛永寺と対を成す裏鬼門の方角に当たる位置にあるため、この地が選ばれたと言われています。
【増上寺 大門】
増上寺の正門。増上寺に参拝する場合はこの門をくぐって参拝します。地下鉄の大門駅から増上寺に向かう通りにあり増上寺の表門で地名の由来になっている門です。 1937年に鉄筋鉄骨コンクリートで再建。2017年には耐震補強や外観を塗り直して新しい外観に蘇りました。
【増上寺 三解脱門(さんげだつもん)】
三解脱門(さんげだつもん)は、増上寺の表の顔で中門にあたる東日本最大級の門となります。戦災を免れ繁栄を極めた江戸時代の面影を残す数少ない建物となっており、東京都内に残る最も古い木造建築物の一つです。現在は国の重要文化財となっております。
三解脱門とは、むさぼり(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚痴)の三つの毒から離れて、極楽浄土に入るための心をつくる解脱の門とされています。門をくぐる事で3つの煩悩(ぼんのう)から解き放たれるといわれています。大きな門で迫力はありますが、実際に見て見ると改修の必要柱があると感じます。事実、上層柱の傾きが進行しているそうで、約10年以上かけて解体修理を行う予定があるらしいです。
【増上寺 境内】
三解脱門を抜けると本堂と東京タワーが見えてきます。敷地が広く開放的な為か浅草寺よりも混雑具合が気になりません。
【増上寺 境内 鐘楼堂(しょうろうどう)】
三解脱門を出て右手に鐘楼堂(しょうろうどう)があります。江戸においてはじめ鋳造された梵鐘とされており、寛永10年(1633年)に建立されましたが焼失したため戦後再建されました。大きさ約3m・重さ約15tは、江戸三大名鐘の一つとして東日本で最大級の大きさを誇り港区文化財に指定されています。
【増上寺 境内 本堂】
明治に入って二度の大火、そして昭和の東京大空襲と災厄に見舞われたものの、1974年に再建・復興を果たしました。その為、建造物として比較的新しいお寺ですが荘厳なる雰囲気を醸し出しています。本堂は浅草寺と一二を争うほど規模が大きく実際に見ると大きさに圧倒されます。
【増上寺 鋳抜門 徳川将軍家墓所】
「徳川将軍家墓所」には2代将軍秀忠公を始め6人の将軍やその親族が眠っています。二代将軍:秀忠公、六代将軍:家宣公、七代将軍:家継公、九代将軍:家重公、十二代将軍:家慶公、十四代将軍:家茂公の六人の将軍の墓所となります。(拝観料500円)
【増上寺 千躰子育地蔵菩薩(せんたいこそだてじぞうぼさつ)】
約1,300体の地蔵菩薩像が並び、壮観な光景を呈しています。1970年代後半から、増上寺に子宝や安産を願う女性たちが増えてきました。そのような女性たちの願いを叶えようと、1980年代から地蔵菩薩像が徐々に建立され始めました。親がいつまでも悲しんでいては、産まれることが出来なかった子も悲しいままです。 子の幸せを願い、親の心を癒す日本の文化です。
【増上寺 御成門(おなりもん)】
御成門とは、大名家や寺院などで貴人を迎えるために用いた門の事です。増上寺の御成門はもともと裏門として作られましたが、いつしか、将軍が参詣するための専用門になったそうです。「殿のおなーり~」ですね。東京大空襲でも被害を受けずに今に至ります。現在は東京プリンスホテルの駐車場の北側にあり、フェンスで囲まれていて通り抜けはできないようになっています。
【増上寺 近くにある観光スポット】
愛宕神社、東京タワー、芝大神宮、芝東照宮
【増上寺 アクセス】
管理人の感想
東京の象徴である東京タワーと江戸の象徴である増上寺のコントラストは素晴らしい。外国人観光客にも人気が高いようで半数以上は海外の方でした。京都では景観を意識しており高いビルやタワーなどありませんが、東京はまた違った景色が楽しめますね。東京の必須観光スポットだと思います。