羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

【羽黒山 出羽神社 概要】

出羽神社(いではじんじゃ)は、創建は593年頃と考えられています。約1400年以上前、出羽三山の開祖であり、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子(はちこのおうじ)が出羽三山をまとめて開山した際に、羽黒山に山頂の祠を創建したことに始まるとされています。羽黒山に登拝は、3本足の烏(ヤタガラス)に導かれ修行の末に正身の聖観音菩薩(能除太子)を拝し、人々の苦しみを取り除いたと伝えられています。

ご祭神は伊氐波神・稲倉魂命を祀っております。

【出羽三山?】

出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)・月山(1,984m)・湯殿山(1,504m)の総称。

羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)

月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)

湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)

巡礼順序は、羽黒山に入り、月山で修行して湯殿山で再生する、「生まれ変わり」の意味を持ちます。

【羽黒山大鳥居】

DSC 2333 2 1024x769 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

羽黒山の玄関口として高さは約23.8m、幅約31.6mもあり、東北地方で一番大きい鳥居です。

DSC 2339 2 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

遠くからでも目を引き、「神域の入口」という雰囲気を強烈に放っています。この鳥居の先にある神路坂と呼ばれる坂を上って羽黒山へと続きます。

kumano hongu taisha oosaihara otorii jp1 160x160 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】 熊野本宮大社大斎原大鳥居【和歌山県】

鳥居の大きさとしては全国で10番目前後だと思われます。ちなみに日本一大きい鳥居は和歌山県にある大斎原大鳥居です。

【羽黒山  出羽三山神社  随神門前鳥居】

ここから羽黒山の山頂までの入口です。

DSC 2379 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

鳥居をくぐると、左手に「随神門授与所」があり、「五重塔」、「天地金神社」の御朱印を頂けます。

【羽黒山  出羽三山神社 天地金神社】

天地金神社(てんちこんじんじゃ)の創建は、1397(応永4年)。学頭の法性院尊量により開かれたのが始まりとされます。随神門の右側すぐにある神社で出羽三山神社の末社の一つになります。ご祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っております。

DSC 2384 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

元々は元三大師堂というお寺だったそうです。社殿向拝の軒先を支える白色の角柱が特徴的で、柱には向かって右は昇り龍、左は降り龍が巻きついています。

【羽黒山  出羽三山神社  随神門】

正面には玄関口となる隋神門があり非常に立派です。1695年、由利郡矢島の領主生駒讃岐守が家運繁栄と極楽浄土を願い寄進した門です。

DSC 2344 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

仏法の守護神である阿形と吽形の金剛力士像を安置する門でしたが、明治維新の神仏分離で出羽三山神社となり、衣冠束帯に剣と弓矢を持つ武官神像を安置したことから随神門(随身門)となったそうです。悪霊の侵入を防ぐ「豊石窓神」「櫛石窓神」という守護神が奉られていました。

【羽黒山  杉並木】

随神門から、杉並木が続きます。樹齢200年〜300年目のスギが500本以上あると言われており、全国的に見てもまれなスギ並木であると思います。現在は国指定天然記念物に指定されています。

DSC 2389 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

【羽黒山 出羽三山神社 末社】

随神門から石段を下っていくと末社が見えてきます。

DSC 2390 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

磐裂神社、根裂神社、五十猛神社、大年神社、天神社、豊玉姫神社、白山神社があります。

【羽黒山 出羽三山神社 神橋】

末社を抜けると、祓川(はらいがわ)にかかる赤い「神橋」が見えてきます。

DSC 2391 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

この川は月山を源流とし、昔、参拝する人々はこの川で身を清めたそうです。現在の橋は2021年(令和三年)に掛け替えられた比較的新しい橋です。

【羽黒山 出羽三山神社 須賀の滝】

神橋を渡る際に右側を流れる祓川の対岸に滝と社が見えてきます。

DSC 2412 1 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

この滝は実は人工の滝で、江戸時代に天祐別当(てんゆうべっとう)が約8km離れた月山山麓の沢から引き入れて作ったものだそうです。当初は不動の滝と呼ばれていました。天祐別当は江戸時代初期の羽黒山別当兼執行で戦国時代に荒廃した羽黒山の再興に尽力されたかたです。

DSC 2395 1 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

須賀の滝の右側の社は、祓川神社(はらいがわじんじゃ)です。

【羽黒山  出羽三山神社 爺杉】

杉並木を歩いていくと、五重塔の手前に樹齢1,000年を超える羽黒山最高樹齢の杉、爺杉(じいすぎ)があります。この巨大な杉の木の根元の周囲は約10.5メートル、幹の周囲は約8.25メートル、高さは43メートルに達します。現在は周囲の杉並木と合わせて国の天然記念物に指定されています。

DSC 2397 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

かつて爺杉の近くには婆杉(ばあすぎ)と呼ばれる巨大な古杉が存在しており、これら二本は夫婦のように見なされ、共に羽黒山を守護していると考えられていました。しかし、1902年(明治35年)の強い台風によって、婆杉は残念ながら倒れて枯れてしまい、現在では爺杉だけが単独で立っています。

【羽黒山  出羽三山神社 五重塔】

爺杉の隣道に五重塔があります。

DSC 2410 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

東北地方では最古の塔といわれ、931〜938年頃に平将門の創建と伝えられています。現在の塔は、約600年前に再建されたものといわれており、高さが29.0mの三間五層杮葺素木造で、1966年(昭和41年)には国宝に指定されました。

DSC 2406 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

江戸時代には塔の周辺に僧坊や塔頭があったとされていますが、その多くは明治維新後の神仏分離により取り壊されてしまいました。現在はこの塔が残るのみとなっており羽黒山で数少ない仏教式建築の1つです。

DSC 2402 1024x768 - 羽黒山 出羽神社(五重塔までの道のり)【山形県】

諸説あるものの、平将門が創建・・・関東地方で活躍していたはずですが、山形で修行したのかな・・・

【平 将門?】

平 将門(たいら の まさかど)は、平安時代中期に関東地方で活躍した武将です。

今から1100年前の関東地方は未開拓の地でしたが、その荒地の開拓に農民たちと取り組んだのが将門であったと伝えられています。将門は新しい時代を予期した馬牧の経営と製鉄による農具の開発などに取り組み、荒地の開拓を容易にしました。そうした進歩性が一族との争いを生み、その争いが国家権力との争いに発展しました。

一族間の争いや朝廷への反発から「平将門の乱」を引き起こし、一時的に関東一帯を支配しましたが、最終的には朝廷の派遣した藤原秀郷や平貞盛らに敗れ、討ち取られました。首は京都でさらされ、その後、東国へ飛んでいったという伝説が残っており、その首が落ちた場所とされるのが、東京・大手町の将門の首塚です。

なお、平将門は東京の各神社に祀られております。

【羽黒山  出羽三山神社 五重塔 近くにある観光スポット】

致道博物館、庄内神社、庄内藩校 致道館

【羽黒山  出羽三山神社 五重塔 アクセス】

管理人の感想

写真などでおなじみの風景ですが実際に目の前に現れると、その姿は神々しくさえあります。爺杉を含む古杉の森は、神が宿る場所と見なされ、自然崇拝の重要な現れと思われます。千年の時を超えて存在し続ける爺杉は生きた証人であり無数の修験者や参拝者の往来を見守り、羽黒山の奥深い歴史と信仰を今に伝えていると思います。この後、子供と年配者を連れて山頂までは厳しかったので、車で山頂まで向かいました。

敷地/施設規模
 (5)
自然の豊かさ
 (5)
アクセスのしやすさ
 (1)
観光客の多さ
 (2)


羽黒山  出羽三山神社 五重塔

〒997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山33−14

※無料駐車場あり

JR羽越本線「鶴岡駅」から車で約50分程度

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です