【湯島聖堂 概要】
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、初期の朱子学者林羅山が現在の上野公園付近の私邸に建てた孔子廟(こうしびょう)です。簡単に言うと湯島聖堂とは中国様式建物の国立学校になります。江戸時代の朱子学は官制の学問であり憧れの学問所でした。はじまりは中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟(霊を祀る建物)だったようです。その後、徳川綱吉の時代に現在の場所に移動。その後幕府直轄の学問所である昌平坂学問所として利用され場所です。昌平坂学問所は1790年神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教育施設であり、現在で言うと国立学校に位置します。1871年に学問所は閉鎖されました。
【湯島聖堂 仰高門】
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湯島聖堂への入口となる門「仰高門」。開門時間は午前9時30分ですので、朝早く行く場合はご注意を。
【湯島聖堂 孔子像】
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仰高門をくぐって右手に孔子の銅像があります。この銅像は孔子のものとしては世界最大だそうです。1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものです。※孔子は、古代中国に生まれた思想家・哲学者です。
【湯島聖堂 入徳門】
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入徳門は、焼失などで失われた湯島聖堂の中で、江戸時代から伝わる数少ない木造の建造物です。
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入徳門を進むと目の前には杏壇門が見えてきます。
【湯島聖堂 杏壇門】
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杏壇門(きょうだんもん)の名称由来は、孔子が学問を講じた壇のまわりに、杏(あんず)の木があったことから、学問を教える場所や、学問所の建物を、杏壇と言うようになったそうです。
【湯島聖堂 大成殿】
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江戸時代から続く長い歴史を持つ建造物だった為、国の史跡に指定されています。その後、関東大震災で被災した為に1935年に鉄筋コンクリート造りで再建されています。日本の学校教育の発祥地として、また、文化の発祥の地として親しまれており歴史を知る方でしたら有名な場所ですが人が少なく静かに散策ができました。山手線のど真ん中にありながら緑が多く都会の喧騒を忘れさせてくれます。
【湯島聖堂 近くにある観光スポット】
神田神社、湯島天満宮
【湯島聖堂 アクセス】
管理人の感想
学問所として親しまれた背景もあり、現在では湯島天満宮とともに、年間(特に受験シーズン)を通して受験生を始め合格祈願や学業成就に訪れる人々が多く見られます。神田神社や湯島天満宮に参拝の際は寄ってみるのも良いかと思います。