忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】

【忍東照宮 概要】

「忍東照宮(おし とうしょうぐう)」は、忍城跡(行田市郷土博物館)から国道125号線を挟んだすぐ向かいに鎮座し徳川家康を御祭神として祀る、忍藩の歴代藩主・松平(奥平)家ゆかりの非常に由緒ある神社です。もともと忍城内にありましたが、明治の廃城に伴い、かつての本丸の一部(諏訪郭)にあった「忍諏訪神社(おしすわじんじゃ)」の境内へ移築・合祀されました。そのため、現在は2つの神社が同じ境内に並んで佇んでいます。

20260802 130256702 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】 忍城 御三階櫓【埼玉県】

【忍東照宮 創建由緒】

1625年(寛永2年)、徳川家康の娘である亀姫が父の肖像を拝領し、その息子(家康の孫)である松平忠明が大和国郡山城内に社殿を建てて安置したのが始まりです。松平家が領地替え(移封)をされるたびに、この東照宮も一緒に各地へ引っ越しを重ねました。そして文政6年(1823年)、桑名藩から忍藩への移封に伴い、忍城内へと遷座されました。

ご祭神は、徳川家康公(とくがわいえやすこう) 、松平忠明公(まつだいらただあきこう) 、八幡大神(はちまんおおかみ) を祀っております。

【忍東照宮 参道】

20260802 124410265 1024x768 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】

明治の廃城の際、忍城周辺の木々はことごとく切り倒されてしまいましたが、この神社の境内だけは木々を切ることを免れました。 その為、鳥居をくぐると、今でも樹齢を重ねた巨木や緑が鬱蒼と生い茂っておりました。薄暗い・・・

20260802 124137737 1024x768 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】

社務所は無人ですが、境内は綺麗にされていました。

【忍東照宮 社殿】

20260802 123758802 1024x768 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】

 忍城の建物が明治時代にすべて壊されてしまった中で、東照宮の「本殿」は、文政6年(1823年)に三重県桑名からお殿様と一緒に引っ越してきた当時の実物がそのまま現存しています。一間社流造(いっけんしゃながれづくり)という気品ある造りをしており、江戸時代後期の優れた建築美を間近で見学できます。 

20260802 123813275 1024x768 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】
【生血を流した御神木の伝説】

明治6年(1873年)、明治政府の命令(廃城令)によって忍城の建物が徹底的に取り壊された際、この諏訪神社の社殿周辺にも絶体絶命の危機が訪れました。 城内の建物だけでなく、周囲の豊かな並木や巨木までもが容赦なく切り倒されていきました。 伐採の手はついに諏訪神社の拝殿近くにまで及び、職人たちが木を切り倒そうとしたその時、切られた杉の木から、まるで生血のような真っ赤な液体がドクドクと流れ出したのです。 職人たちは「神様の祟りだ!」と恐怖に震え上り、それ以上の伐採を中止しました。この奇跡的な伝説のおかげで、社殿のすぐ周りにある木々や深い杜だけは伐採を免れ、当時の忍城の面影を今に伝える「緑の聖域」として守られることになりました。

【忍東照宮 御朱印】

oshi toshogu GOSHUIN 712x1024 - 忍東照宮と忍諏訪神社【埼玉県】

社務所前の箱に入っています。200円。自身で日付を記載します。

【忍東照宮 近くにある観光スポット】

忍城 御三階櫓、行田八幡神社、ヴェールカフェ、埼玉県立さきたま史跡の博物館、前玉神社、古代蓮の里&行田タワー

【忍東照宮 アクセス】

管理人の感想

忍城郷土博物館で歴史を学んだあと、ぜひ足を伸ばしてほしいのが道路向かいにある「忍東照宮」と「忍諏訪神社」です。博物館周辺の開けた景色とは一変し、境内は昼間でも薄暗いほどの深い緑に覆われています。血の伝説が語り継がれるこの杜こそ、忍城が激動の歴史を生き延びた力の源泉だったのかもしれませんね。普段は無人であり、御朱印は自分で日付を書くタイプでした。

規模
 (2.5)
アクセス
 (2.5)
歴史・由緒
 (2)
自然・景観
 (3.5)
静けさ
 (5)
御朱印種類
 (1)


忍東照宮の住所

〒361-0052 埼玉県行田市本丸12−5

駐車場はありません。

※近くにある行田市郷土博物館の駐車場を利用しましょう(行田市郷土博物館観覧前提)

秩父鉄道「行田市駅」から徒歩約15分程度


忍東照宮の記載ページ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です