【武水別神社 概要】
学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)公を祀る天満宮と四国のこんぴらさん(金刀比羅宮)から勧請された金刀比羅社が末社としてあります。
【武水別神社 創建由緒】

社伝によれば、第8代孝元天皇の御代(紀元前214年〜前156年頃)に、この地に初めて神様(土地の自然そのものを神格化)が鎮座した(御鎮斎)と伝えられています。続く第10代崇神天皇の時代、長野県下を縦断する大河「千曲川」の度重なる氾濫・洪水に困り果てた人々が、川の水をコントロールする祈りを込めて、水を司る固有神「武水別大神(たけみずわけのおおかみ)」を祀ったのが本格的な創祀とされています。この治水によって千曲川の荒ぶる水が治まり、周辺一帯が「善光寺平(長野盆地)」と呼ばれる豊かな一大穀倉地帯へと発展していく礎となりました。安和年間(968年〜970年)に、京都の石清水八幡宮から、源氏の氏神である「誉田別命(応神天皇)」をはじめとする八幡三神がこの地へ同時に迎えられました(勧請)。
ご祭神は、武水別大神(たけみずわけのおおかみ) 、八幡三神(はちまんさんしん) を祀っております。
【武水別神社 一の鳥居(大鳥居)】

県道77号線沿いの住宅地に突如として現れるのが、神社の表玄関である「一の鳥居(大鳥居)」です。笠木の端が美しく反り上がった「明神鳥居(みょうじんとりい)」の様式をとっており、一般の公道を大きくまたぐようにして建つ姿は圧巻のスケールです。
【武水別神社 太鼓橋】

大鳥居をくぐるとすぐ目の前に、非常に傾斜の急な石造りの「太鼓橋(たいこばし)」が現れます。この橋は別名「下馬橋(げばばし)」とも呼ばれ、古くはどんなに身分の高い武士であってもここで馬を降りなければなりませんでした。現在も「神様」と、12月の大頭祭で選ばれた最高の奉仕者(頭人)しか渡ることができない神聖な橋とされています。一般の参拝者は、この橋の左脇を通って奥へと進みます。
【武水別神社 参道】

太鼓橋の脇を抜けると、本殿へと真っ直ぐに伸びる広々とした美しい直線参道が始まります。 参道の両側には、長野県の天然記念物にも指定されている「武水別神社の社叢(社の一帯を包む深い森)」が広がっています。

樹齢400年を超える巨大なケヤキや杉の古木が数十本も並び、一歩進むごとに周囲の生活音が消え、さわやかで荘厳な自然のパワーに満たされていきます。
【武水別神社 二の鳥居(中鳥居)】

欅並木の参道を100メートルほど進むと、本殿の直前エリアを区切る「二の鳥居(中鳥居)」が静かに佇んでいます。コンクリート造の一の鳥居とは異なり、こちらは温かみのある素木の木造(明神鳥居様式)で造られています。
【武水別神社 拝殿】

参道を歩いてきて、二の鳥居をくぐった正面に構える大きな建物です。屋根は大きな「入母屋造(いりもやづくり)」の美しい曲線を描いており、参拝者を包み込むような風格があります。

拝殿裏に本殿があります。
【武水別神社 本殿】

拝殿の真後ろ(奥)に隠れるようにして建っている、最も神聖な建物です。普段は中に入ることはできませんが、外側の垣根(玉垣)越しにその素晴らしい外観を拝観することができます。
1842年(天保13年)の大火で一度焼失し、さらに再建中の1847年に善光寺大地震に襲われるという不運に見舞われましたが、氏子たちの強い熱意により1850年(嘉永3年)に再建されました。

本殿の建築と彫刻を担当したのは、江戸時代を代表する宮大工の天才集団「立川流」の最高峰である立川和四郎(3代目富昌)です。彼は諏訪大社や静岡の浅間神社なども手がけた巨匠です。

武水別神社は全国的にも珍しい「廻拝(かいはい)式」を採用しており、本殿の真後ろや横までぐるりと歩いて回ることができるため、至近距離から四方の緻密な立体彫刻を鑑賞できます。立川和四郎富昌の彫刻は、着色をせず木の木目をそのまま生かす「素木彫刻」です。極彩色(カラフルなペイント)の彫刻のように「色が剥げて見栄えが悪くなる」ということがありません。今私たちが目にしている彫刻は、170年以上前に作られたとは思えないほどエッジが立っていて綺麗ですが、これは神社と地域の人々が大切に守ってきた証でもあります。
【武水別神社 さざれ石】

本殿の手前付近には、日本の国歌「君が代」に詠まれていることで知られる「さざれ石(細石)」が奉納・安置されています。
武水別神社は「信濃国二宮」であり、古くは木曽義仲や武田信玄、上杉謙信といった名だたる武将たちが「戦勝(団結と勝利)」を祈願した武門の誉れ高い神社です。そのため、「人々が一つに結束して強く生きる」という意味を持つさざれ石は、神社の持つ歴史的・精神的な物として非常に相性が良く、参拝者を迎えるシンボルとして大切にされています。
【武水別神社 摂社 高良社】
二の鳥居をくぐり、拝殿のすぐ近くに佇む重要な摂社です。 武水別神社の境内にある「高良社(こうらしゃ)」は、神社が経験した過去の大火を奇跡的に免れ、室町時代の貴重な建築様式を今に伝える、長野県指定の重要文化財(県宝)です。

ご祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)を祀っております。
主祭神の八幡大神(応神天皇)に仕え、大臣として大活躍した伝説の長寿の神様です。そのため、本宮である石清水八幡宮にも主要な摂社として祀られており、武水別神社でもこれに倣って非常に大切にされてきました。厄除けや延命長寿の神として崇敬されています。
【武水別神社 目洗石】

本殿の周囲(西側裏手付近)にひっそりと安置されている「目洗石(めあらいいし)」は、かつて地域で目の病気が流行した際に、多くの人々が平癒を願って縋ったとされる眼病平癒の信仰が残る伝説の石です。
【武水別神社 末社 十二神社 】
本殿の右側奥に鎮座する「十二神社(じゅうにじんじゃ)」は、日本の神話に登場する世界の始まりの神々である「神世七代(かみよななだい)」と「地神五代(ちじんごだい)」の計12柱の神様をまとめて祀る非常に珍しい末社です。

通常の神社は「一間社(扉や柱の間の空間が1つ)」や「三間社」が一般的ですが、武水別神社の十二神社は、12柱の神様を1つの横に細長い社殿に並べて祀るため、柱の間が12箇所、扉が12枚並ぶという極めて珍しい横長の構造をしています。これほど長い多間社の流造は初めて見ました。
【武水別神社 その他の末社】

本殿周辺には、家族や暮らしを守る温かい神様たちが他にも隣り合って祀られています。子安社(こやすしゃ) 、天神社(てんじんしゃ) 、荒神社(こうじんしゃ) など、こちらは伝統的な木造の小さなお社で祀っております。
【武水別神社 末社 秋葉社と鹿島社】
武水別神社の秋葉社は、木造の大きな社殿ではなく、「石祠(せきし)」と呼ばれる石造りの小さなお社(ほこら)として祀られています。

3つの石祠が並んで建っており、向かって右側と左側の2つが「秋葉社」、真ん中が「鹿島社」となっています。同じ火伏せの神様が2つの祠に分かれて祀られているのが不思議です。
【武水別神社 名物うずらもち 】
武水別神社の境内にあるレトロな「お茶屋」、またはすぐ裏手にあるホテルうづらやの売店で購入できます。お茶屋では、淹れたての緑茶と一緒にその場で味わうことも可能です。

江戸時代、武水別神社が火災から再建された際、本殿の大黒柱に名工・立川和四郎富昌が「うずら」の彫刻を施しました。当時、近くの千曲川の河原にはたくさんのうずらが群生していたことから彫られたものです。 この神社とうずらの深いつながりにちなみ、神社に隣接するホテルうづらやの初代当主・武井音兵衛が創始しました。以来、八幡様の御供(ごく)として広く親しまれています。
【武水別神社 御朱印】

【武水別神社 近くにある観光スポット】
善光寺、武井神社
【武水別神社 アクセス】
管理人の感想
形あるものはいつか風化する、それが木造建築の宿命かもしれません。しかし、武水別神社の本殿彫刻の前に立つと、そんな常識すら忘れてしまいます。火災や豪雪という厳しい環境を乗り越え、現代の私たちがこうして江戸時代の傑作を美しい状態で拝めるのは、ひとえに神社の方々や地元の方々が、日々「守る」という尊いバトンを繋いできてくれたからに他なりません。歳月を経て深みを増していく木の色合いに、神聖な気配を感じる。そんな贅沢な時間を過ごさせてくれた八幡さまに感謝です。参拝の際は、ぜひ本殿の横や裏までぐるっと回って、職人たちの息遣いを感じてみてくださいね。
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