【武井神社 概要と歴史】
武井神社(たけいじんじゃ)は、善光寺の表参道(東町)に隣接する歴史ある神社です。妻科神社・湯福神社とともに「善光寺三鎮守(善光寺三社)」に数えられ、門前町の東側(東町など19ヶ町)を守護する氏神様として古くから篤く信仰されています。
【歴史と由来】
創建由緒は、明確な古い文献が残っていないため「不詳」とされていますが、地元では飛鳥時代の692年(持統天皇5年)頃の創建という古い口伝(伝承)が残っています。
『日本書紀』の持統天皇5年の国史の記録に、「朝廷が使者を信濃国へ遣わし、信濃須波(諏訪大社)と水内神(みのちのかみ=城山にある水内大社)を祀らせた」という有名な記述があります。武井神社は、この時一緒に整備された、あるいはこの水内大社と一体の関係を持っていた古社であるという考え方から、この「692年説」が今に語り継がれています。
諏訪大社下社の最高神職(大祝)を代々務めていたのが「武居(武井)氏」の一族でした。本家が滅亡した後にこの地へ移り住んだ武井氏の一族が、故郷の諏訪の神様(建御名方命)をこの場所に祀ったことから、その名が付いたと考えられます。
【ご祭神と授かれるご利益】
ご祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、彦神別神(ひこかみわけのかみ)を祀っております。
五穀豊穣、家内安全、武運長久などのご利益に加え、初宮参りや安産祈願、厄除け・方位除けなどの祈願でも知られています。
【武井神社の見どころスポット】
【神仏習合の名残がある両部鳥居】

武井神社の鳥居は、2本の主柱を支えるように、前後に4本の低い控え柱(稚児柱)が組まれた「両部鳥居」という格式高い形式をとっています。両部鳥居の「両部」とは、仏教の金剛界・胎蔵界(両部曼荼羅)に由来する言葉です。かつて善光寺と深く結びついて一体化していた(神仏習合)歴史を、今に伝える建築的な意匠でもあります。
【100メートルの参道】

この鳥居をくぐると、新しく立派な社殿へと向かって約100メートルもの直線的な参道が真っ直ぐに伸びています。
【梶の葉の紋が刻まれている社殿】
1847年(弘化4年)に発生した大天災「善光寺大地震」の際、旧社殿は一度すべて焼失しており、江戸時代に再建されました。現在の社殿は、老朽化もあり2009年(平成21年)に建て替えられたものです。

社殿の正面に置かれているお賽銭箱に注目すると、「梶の葉(かじのは)」の紋が刻まれているのが分かります。これは主祭神である建御名方命(諏訪の神様)のシンボルであり、総本山である諏訪大社の神紋と同じものです。
【末社 矢島稲荷神社】
矢島稲荷神社(やじまいなりじんじゃ)は、武井神社で最も有名な末社であり「狐の親切」にまつわる有名な民話が残されています。

【末社 天満宮と金刀比羅社】

学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)公を祀る天満宮と四国のこんぴらさん(金刀比羅宮)から勧請された金刀比羅社が末社としてあります。
【武水別神社の現地参拝レポート&独自評価】
武井神社 現地参拝レビュー・評価スコア
| 評価項目 | スコア | 特徴・ワンポイント |
|---|---|---|
| 静けさ | (5.0) | 市街地に位置しながら厳かで静寂な空気感 |
| アクセス | (4.5) | 善光寺周辺エリアから立ち寄りやすい好立地 |
| 歴史・由緒 | (4.0) | 善光寺七神社の一つで御柱祭の伝統を持つ |
| 規模 | (2.5) | 散策の合間にサクッと参拝できる境内規模 |
| 自然・景観 | (2.5) | 街の中に自然に溶け込む落ち着いた佇まい |
| 御朱印種類 | (1.0) | シンプルな基本構成(授与状況は要事前確認) |
※アクセスの良さと静寂な雰囲気が魅力。善光寺周辺の歴史スポット巡りとあわせて立ち寄りやすい神社です。
現地レポ|実際に訪れた感想
善光寺の後に今回は表参道の東町にある「武井神社」へ足を延ばしました。賑やかな仲見世通りから少し離れるだけで、一気に神聖で静かな杜の空気に包まれます。善光寺の門前町を守る「善光寺三社」の一つということで、今回は時間の関係でここしか来られませんでしたが、大満足の時間を過ごせました。次回はぜひ、西側の湯福神社や妻科神社も合わせて、ご縁を繋ぐ三社巡りを家族で達成したいと思います。
【あわせて巡りたい周辺観光スポット】
善光寺、妻科神社、湯福神社、武水別神社、生島足島神社、独鈷山 前山寺
Kanataの神社・お寺めぐりナビ 

