五條天神社(ごじょうてんじんじゃ )は社伝によると、創建は西暦110年頃(景行天皇の御代)と伝えられています。元号が制定されるよりも遥か昔、弥生時代にあたる太古の時代からこの地に存在していたことになります。日本武尊が東征(東国の征伐)の際、忍ヶ岡(しのぶがおか:上野の古名)を通りかかりました。その道中、大己貴命と少彦名命という二柱の神様(医薬の神様)から不思議なご加護(奇端)を受け、難儀を救われました。日本武尊はその神恩に深く感謝し、上野の山内にある天神山(現在の摺鉢山古墳のあたり)にこの二大神を丁寧にお祀りしたのが始まりです。
また、江戸時代の1641年(寛永18年)、社名に「天神」と付く縁などから菅原道真公が合祀され、学問の神様としても信仰されるようになりました。室町時代の書物にも登場するほどの名社でしたが、江戸時代に徳川家によって「寛永寺」が造営・拡張されると、神社の敷地が重なってしまったため、上野の中で何度も移転を余儀なくされました。大正時代の国鉄工事や関東大震災を経て、1928年(昭和3年)にようやく現在の場所へと遷座し、落ち着きました。当初の場所は現在の清水観音堂のあたりだと思われます。
ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)国造りや医薬の神様(大国主命・大黒様)、少彦名命(すくなびこなのみこと)医療や酒造の神様。大己貴命とともに人々に病気の癒やし方を教えたとされる二大神と、相殿神として菅原道真公を祀っております。
【五條天神社 鳥居】

境内南側の表参道にある大鳥居は、伊勢神宮などと同じ直線的で格式高い「神明(しんめい)鳥居」の形をしています。鳥居の脇にある提灯には、医薬の神様にちなんだ非常に珍しい「粟穂(あわほ)」の神紋が描かれています。
【五條天神社 社殿】

現在の社殿は、1928年(昭和3年)に造営された近代和風建築の木造社殿です。幾度もの災害や都市計画による移転の歴史を乗り越え、現在は戦前の貴重な木造建築の姿をそのまま今に伝えています。
【花園稲荷神社 概要】
花園稲荷神社(はなぞのいなりじんじゃ )は、創建年は不詳ですが、歴史的な伝承や時代背景から推測すると、「1400年代中頃(室町時代中期)」以前から創建されていたと思われます。古くから「忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)」や「穴の稲荷」として親しまれていました。
中世の戦乱(享徳の乱や武蔵平一揆など)によって一度荒廃し、ほぼ廃絶状態で放置されていましたが、1654年(承応3年)、寛永寺を開いた天海大僧正の高弟である晃海(こうかい)僧正が、霊夢を見てこのお社を再建し、上野の山の守護神としました。1873年(明治6年)に社殿が整備された際、この周辺一帯が寛永寺の「お花畑」であったことから、現在の「花園稲荷神社」へと改名されました。1928年(昭和3年)、隣接する五條天神社がこの地へ遷座してきたのに合わせて現在の社殿へと移されました。
ご祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀っております。
【花園稲荷神社 参道】

社殿へ向かう最大の見どころが、幾重にも連なる朱色の鳥居のトンネルです。上野公園の賑やかさから一歩足を踏み入れると、一気に神聖で静寂な空気に変わる人気のパワースポットです。
【花園稲荷神社 社殿】

1923年(大正12年)の関東大震災の後、上野公園内の現在の場所へ遷座するのに合わせて、昭和3年に社殿が新造されました。戦災(第二次世界大戦)の被害を免れたため、戦前の貴重な木造社殿が今もそのまま残されています。
【花園稲荷神社 末社 お穴様と弥左衛門狐】
寛永寺が建てられる際、住処を追われることになった狐たちのボスである「弥左衛門狐」が、天海大僧正に「住む場所をください」と訴え出ました。これを憐れんだ天海大僧正が、狐たちのために大きな横穴(一洞)を掘って住処としたのが「お穴様」のはじまりです。弥左衛門狐(やざえもんぎつね)は、洞窟をさらに奥(正面から左に曲がった突き当たり)に進むと現れる、小さなお社(祠)に祀られています。
【五條天神社・花園稲荷神社 近くにある観光スポット(徒歩30分圏内)】
上野東照宮、寛永寺、不忍池辯天堂、東京国立博物館、天王寺
【五條天神社・花園稲荷神社 アクセス】
管理人の感想
五條天神社は、古くから「病気平癒」や「無病健康」のご利益で知られ、毎月10日の医薬祭や、伝統的な神事には多くの参拝者が訪れます。隣の花園稲荷神社の華やかさとは対照的に、どこか無骨で、けれど圧倒的な包容力で人々を見守ってきたような温かさがある五條天神社。
花園稲荷神社は鮮やかな朱色の鳥居がずらりと連なり、都会の真ん中とは思えない幻想的な光景が広がります。 現在の美しい千本鳥居をくぐり、奥にある薄暗い岩窟の前に立つと、今でもどこか肌がピリつくような、圧倒されるほどの厳かな気配を感じます。それは単なるパワースポットというだけでなく、激動の時代を駆け抜けた男たちの執念が、今もこの地に息づいているからかもしれません。
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