【王子神社 概要】
王子神社(おうじじんじゃ)の創建年は不明ですが、平安時代の康平年間(1058年〜1065年)より前には神社としてあったとされています。平安時代中期、奥州での反乱(前九年の役)を鎮圧するために向かった源頼義・義家父子が、この地を通りかかった際に「戦勝祈願」をしたと伝えられ、戦いに勝利した源頼義は、その報賽(お礼参り)として、自身の兜をこの神社に納めたといわれています。その後、鎌倉時代末期の1322年(元亨2年)、この地の領主であった豊島氏が社殿を再興し、紀州の熊野三社から「王子大神」を改めて勧請したことで、現在の形となりました。
ご祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱となり、総称して「王子大神」と呼ばれています。
【王子神社 参道】

戦災で焼失した神門の場所に石造りの鳥居が再建されています。石造りの鳥居としては都内有数の大きさです。

鳥居から拝殿までの境内はそれ程広くはないのですが、境内は立ち並ぶ緑豊かな木々と心落ち着く場所です。
【王子神社 王子駒犬(狛犬)】
足元に子どもの狛犬がしがみついています。これは「子孫繁栄」や「家庭円満」、そして「安産」の象徴とされ、撫でることで子宝に恵まれるという信仰があります。

王子神社の狛犬は、がっしりとした体格で勇ましく、古くから親しまれています。参拝の際は、その堂々とした姿もぜひ近くで見てみてください。
【王子神社 社殿】

拝殿も1945年に戦災でほとんどを失いながらも戦後に復興され、柱や幕の白、飾り金具の金と渋い色調で、江戸時代の徳川将軍家の崇敬を反映した威厳ある姿を取り戻しています。
【王子神社 神輿】

鳥居をくぐって左手に立派なお神輿が展示されています。
【王子神社 末社 関神社】

関神社(せきじんじゃ)は理容業界の神様で髪の祖神です。戦災で焼失したものを、昭和36年に理容、美容業、かつら屋さんなどが髪の供養と恩返しから再建した神社です。再建に尽力した人やかつら店などの名前が彫られていました。髪の毛にご利益があるかもしれませんので不安な方はぜひ訪れてみてください。
ご祭神は百人一首でも有名な蝉丸公(せみまるこう) となっております。
【王子神社 大イチョウ】

推定樹齢は600年以上といわれ、1322年(元亨2年)の再興当時に植えられたという説もあります。昭和20年の戦災で周辺の社殿などが焼失する中、この大イチョウだけは力強く生き残り、戦後の復興を見守ってきました。現在は東京都の天然記念物に指定されています。
【王子神社 源義家の「甲冑(鎧)」奉納伝説】
同じ北区にある平塚神社も、源義家が奥州征伐(後三年の役など)の帰路に立ち寄り、武具を納めたという伝説が残っています。
・王子神社には「戦勝報告」のために寄り、兜を置いた。
・平塚神社には「休息と交流」のために寄り、鎧を贈った。
現在、この2つの神社の間は「本郷通り」という道で繋がっており、歩いて15分〜20分ほどです。義家が馬で駆け抜けたであろうルートを、今の私たちも散策コースとして楽しむことができます。
【音無親水公園】
音無親水公園(おとなししんすいこうえん)は日本の都市公園100選にも選ばれている公園です。遊歩道は春は桜、夏は緑影、秋は紅葉と四季折々の景色が楽しめます。水量が少ない川は子供たちの水遊び場となっており、古風な木製橋(舟串橋)も架かる自然に恵まれた美しい公園です。
神社だけでなく近くにある音無親水公園と合わせて参拝すると良いと思います。
【王子神社 御朱印】

御朱印代金は決まっておりませんので参拝者のお心次第とのこと。私は500円を納めました。
【王子神社 近くにある観光スポット】
音無親水公園、飛鳥山公園、紙の博物館、飛鳥山博物館、渋沢資料館、旧渋沢庭園、飛鳥の小径、王子稲荷神社、七社神社
【王子神社 アクセス】
管理人の感想
派手さはありませんが、「歴史の重み」と「自然の癒やし」が絶妙なバランスで共存している神社です。大都会の中にありながらも、王子神社を中心に音無親水公園や飛鳥山公園、王子稲荷神社などがあります。行き交う路面電車を眺めつつ 旧古賀庭園辺りや、その先の七社神社まで散策すると休日のひとときを寛ぐにはもってこいだと思いました。
【御朱印・絶景】日本の神社仏閣めぐり – JAPAN SHRINE GUIDE 





