【六郷神社の概要と歴史】
六郷神社(ろくごうじんじゃ)は、東京都大田区東六郷に鎮座する、旧六郷領41ヶ町の総鎮守です。源氏の氏神である八幡さま(八幡宮)として、平安時代から鎌倉、江戸時代にいたるまで、日本の歴史を動かした名だたる武将たちとの深い結びつきによって紡がれてきました。
神社の名前に冠されている「六郷(ろくごう)」という地名。実は平安から鎌倉時代にかけて、この地域にあった6つの代表的な村(郷)が集まっていたことが名前の由来です。江戸時代には周辺の41もの村々をまとめる広大なエリアの名称となり、多摩川を船で渡る東海道の名所「六郷の渡し」として、多くの旅人に親しまれました。
【歴史と由来】源頼義公の祈願に始まり源氏ゆかりの歴史を誇る古社
六郷神社の始まりは、平安時代後期の天喜5年(1057年)。当時、東北地方で起きていた反乱(前九年の役)を鎮めるため、東国へと向かっていた源氏の棟梁・源頼義(よりよし)と、その息子である「八幡太郎」こと源義家(よしいえ)がこの六郷の地に宿営しました。その際、境内にある大きな杉の木に源氏の象徴である「白旗」を高く掲げ、京都の石清水八幡宮に向かって「どうか戦に勝てますように」と武運長久を熱心に祈願しました。見事に乱を平定し勝利を収めた父子は、帰路の途中に再びこの地へ立ち寄り、感謝のしるしとして石清水八幡宮の御分霊を迎えて社殿を建立しました。これが六郷神社の起源となります。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いを控えた家康は、軍勢を移動させるため、多摩川にそれまでになかった巨大な木造橋「六郷大橋」を架けることを決意します。家康はその架橋工事の無事成就を六郷神社に祈願しました。橋は見事に完成し、関ヶ原の戦いで勝利を収めて天下統一を果たした家康は、神社の神紋として徳川家の象徴である「三つ葉葵(あおい紋)」を使用することを許しました。明治時代に入ると、それまでの「八幡宮」という名称から、地名にちなんだ現在の「六郷神社」へと改称され、明治5年には郷社に列せられました。
江戸時代、江戸から京都へと向かう人々は、多摩川を「六郷の渡し(船)」で渡って川崎宿へと向かいました。六郷神社は、その多摩川を渡る手前(江戸側)に位置する旧東海道のすぐ脇に鎮座しています。旅人たちにとっては、旅の安全を祈願し、あるいは無事に川を渡れたことを感謝する「最初の、そして最後の重要な守り神」でした。
この多摩川を挟んだ往来の歴史は、旅人だけでなく、地域を開拓した人々の信仰とも深く結びついています。かつて六郷神社の氏子たちは、多摩川の対岸である武蔵国大師河原(現在の神奈川県川崎市川崎区)の干拓・開拓のために川を渡って移り住みました。その際、新たな土地の総鎮守として、六郷神社の御祭神である応神天皇の御子(若宮)にあたる「仁徳天皇」を分祀し、創建されたのが対岸の「若宮八幡宮」です。
かつて淀川の治水工事を成し遂げた伝説を持つ仁徳天皇は、多摩川の氾濫に悩まされながらも不屈の精神で新田を切り拓いた人々の「治水と開拓の守護神」となりました。
このように、江戸側の「六郷神社」と川崎側の「若宮八幡宮」は、多摩川(六郷川)という大河の出入り口を挟み、親子の神様として、そして川の南北の歴史を共に紡いできた極めて深い絆で結ばれています。
【ご祭神とご利益】誉田別命が授ける勝運・開運・夫婦円満のご神徳
ご祭神は、誉陀和気命(ほんだわけのみこと =応神天皇)を祀っております。
主なご利益は、勝運向上、出世開運、武運長久、事業成就、学業成就となっております。
【六郷神社の見どころ&参拝順序】
【参道】大鳥居から境内へと静かに続く緑豊かな道筋

六郷神社は、住宅街にありながら「神橋〜鳥居〜神門〜社殿」がまっすぐに美しく調和した、非常に格式高く清々しい佇まいをしています。表参道の入り口に立つと、まず目に飛び込んでくるのが、風格漂う石造りの太鼓橋(神橋)です。建久2年(1191年)、源頼朝の命によって社殿が造営された際、鎌倉幕府の有力御家人であった梶原景時(かじわらかげとき)が寄進したものと伝えられています。

鳥居をくぐった先には、昭和62年(1987年)に建立されたどっしりとした木造の神門があります。神門は、コンクリート造の多い現代の新しい堂宇とは異なり、木の温もりと力強さを活かした本格的な木造の楼門形式で建てられています。瓦葺きの美しい屋根と、太い木柱が並ぶどっしりとした佇まいは非常に格調高く、一歩くぐればさらに深い神聖な空間が広がっていることを参拝者に視覚的に伝えてくれます。
【社殿】源頼朝公の寄進伝承や歴史を感じさせる凛とした拝所

建築は、本殿と手前の拝殿が一体となった重厚な権現造(ごんげんづくり)を採用しています。また、本殿自体は享保4年(1719年)に造営された歴史的な「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」の様式を美しく修復したものです。

拝殿の向拝(ひさし)にある蟇股(かえるまた)などの美しい彫刻をよく見ると、八幡宮の伝統的な「巴紋」と並んで、徳川将軍家から授かった「三つ葉葵(葵紋)」が綺麗に施されているのを見つけることができます。
【夫婦楠】寄り添うように立つ良縁・夫婦円満の象徴たるご神木
夫婦楠(めおとぐす)は、現在の六郷神社を代表するご神木です。

このクスノキは、地面に近い根元の部分では1つの太い幹としてがっちりと繋がっていますが、空へ向かうにつれて2本の巨大な幹へと綺麗に分かれ、寄り添うようにまっすぐ伸びています。この大変仲睦まじい姿から「夫婦楠」と名付けられました。
【境内末社】祈りと信仰が宿る合祀殿と稲荷神社の社群
六郷神社の境内には、主に4つの末社(境内社)があります。鳥居をくぐった先、夫婦楠の近くに祀られています。

合祀殿(ごうしでん)は、左側の社、以下の3つの神社が1つの社殿に並んで祀られています。
氷川神社(ひかわじんじゃ):素盞嗚尊(すさのおのみこと)
天祖神社(てんそじんじゃ):天照大御神(あまてらすおおみかみ)
三柱神社(みはしらじんじゃ):日本武尊(やまとたけるのみこと)・大物主命(おおものぬしのみこと)・布津主命(ふつぬしのみこと)
稲荷神社(いなりじんじゃ)は、右側に単独で建つお社です。五穀豊穣や商売繁盛の神様である宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)が祀られています。
【西参道】地域の暮らしと繋がるもうひとつの静かな出入口

旧東海道からの厳かな一直線の表参道が素晴らしい六郷神社ですが、実は国道15号線(第一京浜)に面した「西参道」もまた、見逃せない魅力を持っています。

大通りから大きな鳥居をくぐると、広々とした石畳が広がり、進むにつれて左手に立派な社殿、右手に神門が一望できる開放的な景観が出迎えてくれます。一見すると現代的に整備された入り口に思えますが、江戸時代の『江戸名所図会』にも、当時から多くの人々がこの西側から行き交う様子が描かれている歴史ある参道です。
【六郷神社 御朱印】

【六郷神社の現地参拝レポート&独自評価】
六郷神社 現地レビュー・評価スコア
| 評価項目 | スコア | 特徴・ワンポイント |
|---|---|---|
| アクセス | (4.0) | 京急本線「六郷土手駅」より徒歩約7分、またはJR「蒲田駅」よりバス利用。第一京浜沿いからのアクセスが非常にスムーズ |
| 静けさ | (4.0) | 大通りの近くにありながら、一歩参道へ入ると緑の樹木と神門に包まれた静謐で凛とした神気が漂う境内 |
| 歴史・由緒 | (4.0) | 天喜5年(1057年)源頼義・義家父子の宿営・勝祈願に始まる古社。徳川家康公も関ヶ原の戦い前に六郷大橋完成を祈願 |
| 自然・景観 | (3.5) | 梶原景時寄進の石橋(太鼓橋)や格式高い木造神門、参道を彩る緑が調和した美しく清々しい景観 |
| 規模 | (3.0) | 享保年間の面影を残す社殿、神道由来の神橋・神門、境内社がまっすぐに美しく配された整然とした境域 |
| 御朱印種類 | (3.0) | 「六郷神社」の通常御朱印をはじめ、徳川家の三つ葉葵紋をあしらった格式高い朱印や季節の限定朱印が授与される |
現地レポ|実際に訪れた感想
第一京浜(旧東海道)の活気ある賑やかさから一転、一歩鳥居をくぐると神聖で静謐な空気にガラリと切り替わります。境内に足を踏み入れると、樹齢数百年を数える巨大な御神木や大田区内最古と伝わる重厚な鳥居が包み込むように出迎えてくれ、かつて源頼義・義家親子が奥州征伐の際に戦勝を祈願したという深遠な由緒と武家の気風が肌で伝わってきます。現代の街の喧騒と古代から続く守護神としての静寂が心地よく調和しており素晴らしい神社だと思います。若宮八幡宮とセットで参拝すると良いと思います。
【あわせて巡りたい周辺観光スポット】
若宮八幡宮、蒲田八幡神社、穴守稲荷神社、羽田神社、川崎大師 平間寺、稲毛神社
Kanataの神社・お寺めぐりナビ
