【八幡竈門神社 概要】
八幡竈門神社(はちまんかまどじんじゃ)は、727年(神亀4年)に創建。
神社に伝わる社伝では、仁徳天皇の治世(312年 – 399年)、日本武尊と神功皇后が西征した際に竈門荘亀山に行宮を営み、国常立尊、天照大御神ら33柱を祀ったことを端緒とされています。神亀4年(727年)3月15日に仲哀天皇、応神天皇の神霊が豊前国宇佐より竈門荘宝城峯に降臨したところ、御越山に遷座し、竈門宮に奉斎したとされ、この神亀4年(727年)を創建としているそうです。
ご祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を主神とし、国常立尊、天照大御神ら33柱を祀っております。
【八幡竈門神社 参道】

県道218号線沿いに階段と一ノ鳥居があります。この階段が鬼が作ったとされる石段。思っていたよりも丁寧な作り・・・。上りきると二の鳥居と社殿が見えてきます。
【八幡竈門神社 狛機雷】

鳥居の両側に巨大な鉄球があります。近くに海軍基地があった為、日独戦争の戦勝を機に奉納された水中兵器。
【八幡竈門神社 御神亀(なで亀)】
拝殿の前にいる亀の像があります。これは、ただ置かれているわけではなく、毎年その年の最も縁起が良いとされる方角(恵方)に合わせて、職人や神職の手で少しずつ向きが変えられているそうです。亀の体を撫でてから、開運、家内安全、繁栄、健康長寿などを祈願すると、願い事が叶うとされています。

神社の創建は727年(神亀4年)ですが、神社が建てられている小高い山の地名自体が古くから「亀山」と呼ばれています。平安時代の承和15年(848年)、この地域の川で大変珍しい「白い亀」が捕獲され、朝廷(仁明天皇)に献上されました。天皇はこれを「国が豊かになる素晴らしい吉祥の兆し(吉兆)」として大喜びし、元号を「嘉祥(かしょう)」へと改元したほどです。この伝説が、周辺一帯の「亀川(かめがわ)」という地名の由来にもなっています。神社そのものも亀と深い縁で結ばれているため、幸運の象徴として作られました。
【八幡竈門神社 社殿】

九十九の石段を上り詰めると立派な社殿が見えてきます。別府市の文化財調査報告などによると、江戸時代の寛保3年(1743年)、当時の領主であった小倉藩(小笠原氏)に提出された神社の公式記録が現存しています。記録を見ると、現在の社殿(明治39年・昭和38年建築)ができる遥か前から、ほぼ同じ構成で立派な社殿がこの地に存在していたようです。
現在の建物自体は新しく建て直されたものですが、「本殿や拝殿という形で神様を祀る構造」は、何百年も前から古文書に記録され、大切に引き継がれてきたものと考えられます。
【八幡竈門神社 社殿 龍の絵】

拝殿の天井絵は素晴らしい龍の水墨画で、水神様が描かれており火災から守ってくれるそうです。

鬼滅の刃で竈門炭次郎が使う技『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』の技を思わせ、作者も参考にされたのかもしれませんね。
【八幡竈門神社 鬼滅の刃の聖地?】

人気漫画「鬼滅の刃」に登場する主人公の名字が「竈門」であることや、鬼や龍のモチーフが共通していること、夜が明けると鬼が逃げだすなどの共通点もあるため聖地として注目を集めているようです。
【八幡竈門神社 ご神木】
拝殿横には 樹齢約500年のイチイガシの御神木「魂依の木(たまよりのき)」があります。ご神木に名前があり、鬼滅にも登場する「たまよさん」ですかね

不思議な形で幹が空洞になっていますが、いまだに生命が満ち溢れているのを感じられます。
【鬼が忘れた石草履】
夜明けの一番鶏に驚いた鬼が、慌てて片方だけ脱ぎ捨てて逃げ去ったのがこの石草履です。その後、恐る恐る村人たちがこの足跡に足を合わせてみたところ、「みるみる力が湧き出て何倍もの仕事ができるようになった」「体の悪い人がたちまち元気になった」と言い伝えられています。

現在でも、足を重ねることで「鬼のような怪力が手に入る」「足腰が健康になる」とされ、スポーツ選手や受験生、健康を願う参拝客が足を乗せにくるそうです。
【八幡竈門神社 近くにある観光スポット】
宇佐神宮、べっぷ地獄めぐり、八幡朝見神社
【八幡竈門神社 アクセス】
管理人の感想
こじんまりとした静かな場所にある神社です。神社としては鬼滅とは直接関係ないものの、境内はキャラの描かれた絵馬や御守りなど鬼滅色がありつつ、立派な拝殿や御神木、機雷、他にも見所が多くあり神社・鬼滅ファン共に楽しめると思います。べっぷ地獄めぐりと合わせて参拝すると良いと思います。
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