【穴八幡宮 概要】
穴八幡宮(あなはちまんぐう)は創建1062年、源義家が氏神様である八幡宮をこの地に勧請したのが始まりと言われています。1641年に当社の南側を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅製の阿彌陀如来像が出てきた事から穴八幡宮と呼ばれるようになったそうです。商売繁盛や金運アップのご利益で知られ、都内屈指の参拝者を誇る神社です。1945年(昭和20年)の東京大空襲で、建物の多くを焼失しましたが、1961年(昭和36年)、御鎮座900年事業として本殿再建工事が開始されています。ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)(ほんだわけのみこと/品陀和氣命)とその父君と母君の仲哀天皇と神功皇后(気長足姫尊(おきながたらしひめ))です。
【穴八幡宮 境内】
穴八幡宮の正面参道鳥居は地下鉄早稲田駅から歩いて少し行くと目に飛び込んできます。 都会の中にある大きな朱色の鳥居は、周囲とのコントラストがあってとても美しいです。
鳥居の横に躍動感のある彫刻、高田馬場流鏑馬あります。毎年10月には近くの近くの戸山公園で「髙田馬場流鏑馬」が開催されますが、昔は穴八幡宮の境内で行われていたこともあり、鳥居のすぐ横に立派な流鏑馬像があるようです。穴八幡宮の神事として現代に伝えられる貴重な伝統行事ですね。早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である武士、松平直次が射術の練習のために的場を造営し、弓矢の守護神である八幡神の小祠を営んでいたそうです。
当初は「高田八幡」と呼ばれていたそうですが、江戸前期に橫穴が発見され、その中に高さ10センチほどの金銅製の阿彌陀如来像が見つかったことから参拝者が多くなったそうです。穴八幡宮は台地の突端に建っており、台地に開いた洞穴は、奈良時代初期に築造された橫穴墓・又はもっと昔の古墳など諸説あるようです。
男坂を上ると目新しい神門(光寮門)が。門を潜ると広々とした境内に、厳かな黒基調の拝殿と社務所と、樹齢が長いと分かる楠木が見えてきます。都会なのに静謐な空気に包まれた境内で心が穏やかに引き締まります。
都会の神社ですが意外と広くて驚きました。私が参拝した時は、境内が静けさに包まれ太陽の光が心地よく降り注いでいました。
約230年前の江戸時代から冬至の朝5時から節分の日まで頒布される「一陽来復御守」のお守りを求め、冬至の日は大勢が並びます。「一陽来復御守」は、1688年から現在まで穴八幡宮で続くお守りです。このお守りが冬至と金銀融通の意味を含む理由は、納められた打出小槌によるものとのこと。公家の水無瀬家が京都の國寶寺よりいただいたものを同神社に納めたもので、奈良時代、聖武天皇が冬至の日に龍神により授けられた宝器だそうです。
神武天皇遥拝所の遥拝所(ようはいじょ)があります。遥拝所は、遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所です。神武天皇といえば言わずと知れた、日本神話上の初代天皇です。この場所から、遥か南西に位置する奈良県の橿原神宮の方向を遥拝できるということらしいです。
【穴八幡宮 近くにある観光スポット】
ホテル椿山荘、雑司ヶ谷鬼子母神堂
【穴八幡宮 アクセス】
管理人の感想
個人的には静かな神社が好きなので時期を変えて参拝させて頂きました。一陽来復御守は可能なら頂きたいですが何時間も並ぶのは無理かもしれません。都会にありながら荘厳な雰囲気の八幡さまでした。