【菅原神社の概要と歴史】
菅原神社(すがわらじんじゃ)は、1630年(寛永7年 )創建。東京都町田市本町田にある菅原神社は、学問の神様である菅原道真公を主祭神として祀る歴史ある神社です。原町田の「町田天満宮」、南大谷の「天神社」と並ぶ「町田三天神」の一つとして知られ、周辺の「井手の沢古戦場跡」に位置していることでも有名です。
【歴史と由来】学問の神様を祀る町田の鎮守と井手の沢の歴史
1630年よりさらに遡る室町時代(1430年代頃)にこの地域に移住してきた名主の大沢左近正次が、先祖が京都の北野天満宮から授かった「天神像(菅原道真公の像)」をこの地に安置したのがはじまりです。その後、江戸時代初期の寛永7年(1630年)に、大沢家の子孫である大沢玄蕃(げんば)が、新たに「渡唐の天神像(中国へ渡ったとされる道真公の姿を刻んだ像)」を制作させました。玄蕃は自らの土地を寄進し、社殿を整えて「本町田村の鎮守(村全体を災いから守る神様)」として本格的に神様をお祀りしました。これが現代に続く菅原神社の基盤となっています。

また、神社が建っている場所は、1335年に足利直義と北条時行が激しい戦いを繰り広げた「井手の沢古戦場」の跡地です。境内の下には清水が流れており、激しい戦乱で亡くなった多くの人々の霊を慰め、土地の神を鎮める(鎮魂の)目的もあったと考えられています。
【ご祭神とご利益】菅原道真公がもたらす合格祈願・学業成就のご神徳
ご祭神は、菅原道真公(天神様)を祀っております。主なご利益は、学業成就・合格祈願・立身出世(仕事運)です。
【菅原神社の見どころ&参拝ルート】
【参道と手水舎】清々しい木々に包まれた参道と手水場

鎌倉街道沿いに「菅原神社」と刻まれた立派な社号碑と、ひときわ目を引く大きな朱色の大鳥居が建っています。

大鳥居をくぐると、参道は緩やかな下り坂(すり鉢状の地形)になっています。神社の参道は上り坂や平坦なことが多い中、一度下ってから神域へ向かうというのは珍しいですね。

参道の突き当たりには、緑豊かな鎮守の杜に吸い込まれるような急で長い石段(男坂)がそびえ立っています。これは昭和8年(1933年)に当時の氏子(地域住民)たちの奉仕によって造られた歴史ある石段です。

手水舎(てみずや)は、表参道の急な石段のすぐ下に位置しています。2023年3月に「梅の花手水(うめのはなちょうず)」舎として新しく建て替えられ、御祭神である菅原道真公に深くちなんだ大変麗しい造りへと生まれ変わりました。
【社殿と奉納大絵馬】学問の神様に祈りを捧げる本殿と見事な大絵馬
それまでの社殿(拝殿)は江戸時代の1785年(天明5年)に造営されたものでしたが、老朽化などに伴い、2012年に237年ぶりとなる新拝殿への建て替えがされました。

神社建築専門の設計事務所と、飛鳥時代からの伝統技術を受け継ぐ世界最古の建設会社「金剛組」らの手によって整備されました。現在の建物は、美しい木造の神明造(しんめいづくり)形式を基調としており、木本来の温もりと白木の美しさがひときわ映える、開放的で凛とした近代的な様式美を備えています。

神楽殿の横には大きな絵馬が掲げられておりました。
【摂末社】愛宕社・藤木稲荷社・弁天社など境内に鎮座するお社
拝殿の左手奥に愛宕社(あたごしゃ)があります。

正確な創建年代は不明とされていますが、少なくとも明治時代以前からこの地に鎮座していたことが記録されています。その後、境内の移動(遷座)や社殿の改築を重ねて現在の姿になりました。
御祭神は迦具土神(かぐつちのかみ)を祀っております。

拝殿のさらに奥のエリアに藤木稲荷社(ふじきいなりしゃ)があります。古くから「向(むかい)地区」の稲荷講の人々によって大切に守られてきましたが、平成29年(2017年)に菅原神社の境内へ移管されました。社名の「藤木」は、かつて古いお社の脇に立派な藤の木があったことに由来しています。
御祭神は宇迦御魂神(うかのみたまのかみ) を祀っております。

表参道の途中、石段を上る手前の左側に 弁天社(べんてんしゃ) があります。表参道の途中、石段を上る手前の左側にあります。もともとは近くの「今井地区」で祀られていましたが、地域の開発・整備に伴い、平成26年(2014年)に菅原神社の境内へと遷座(お引越し)されました。
御祭神は弁財天(べんざいてん/水の神・七福神の一柱) を祀っております。
【井手の沢古戦場】南北朝時代の合戦の舞台となった歴史史跡
菅原神社の境内地とその周辺に広がる「井手の沢(いでのさわ)古戦場」は、鎌倉幕府滅亡の直後に起きた歴史的大事件「中先代の乱(なかせんだいのらん)」の激戦地です。

井手の沢は、北関東から鎌倉へと通じる「鎌倉街道(上ノ道)」の要所でした。府中方面からここまでは起伏のある丘陵地(多摩丘陵)が続きますが、この井手の沢を越えると、鎌倉までは遮るものがなく一気に進軍できる地形になっていました。そのため、足利軍としては「何が何でもここで止めなければ鎌倉が落ちる」という防衛ラインだったのです。

土地の形状から、この高台には当時、柵などを巡らせた砦(城)のような軍事施設が築かれていたと推測されています。足利直義は、この拠点を防衛陣地として利用して迎え撃ったと考えられています。創建理由にも記載しましたが、この戦いで命を落とした多くの兵たちを弔うため、境内の下を流れる清水の周辺に神社の起源となるお社が建てられたと考えられます。
【御神水の石碑】境内に伝わる霊水と歴史を刻む石碑
弁天社のすぐ近くに「御神水(ごしんすい)の石碑」があります。

菅原神社の境内はかつて「井手の沢」と呼ばれ、旅人が足を止めるほど非常に清らかな湧き水が豊富に出る場所でした。この石碑は、その神聖な湧き水(御神水)がこの地にあったことを示すために建てられたものです。水の神様である「弁財天」が境内のこの位置に遷座してきたのも、まさにこの御神水の場所にちなんで選ばれたという経緯があります。

かつてはここで御神水をいただく(お水取りをする)ことができましたが、現在は安全や衛生管理、環境維持などの観点から周囲が侵入不可(立ち入り制限)となっており、一般の参拝者が直接お水を取ることはできません。
【菅原神社 御朱印】

【菅原神社の現地参拝レポート&独自評価】
菅原神社 現地レビュー・評価スコア
| 評価項目 | スコア | 特徴・ワンポイント |
|---|---|---|
| アクセス | (4.0) | JR・小田急町田駅からバスで約10〜15分(「菅原神社前」下車すぐ)。無料の大型駐車場も完備され車でのアクセスも良好 |
| 静けさ・爽快感 | (4.0) | 主要道路沿いに位置しながらも一歩境内に足を踏み入れると木々に囲まれた静寂が広がり、心が洗われる落ち着いた雰囲気 |
| 歩きやすさ・設備 | (4.0) | スロープが整備されており車椅子やベビーカーでも安心。手水舎や授与所、参拝者用駐車場などの設備が非常に充実 |
| 眺望・景観 | (3.5) | 初春に咲き誇る紅梅・白梅の梅林景観や、境内奥にある趣深い弁天池、情緒溢れる社殿が織りなす和の趣き |
| 開放感・自然 | (3.5) | 約200本の梅林や四季折々の草花、境内の弁天池など、町田の市街地近くにありながら自然の憩いを感じられる空間 |
| 見どころ・満足度 | (3.5) | 学問の神様としての信仰に加え、「井出の沢古戦場」に隣接する歴史的価値、初春の梅まつりなど年間を通して見どころ豊富 |
※東京都町田市本町田に鎮座し、学問の神様・菅原道真公を祀る古社。「町田三大天神」の一つとして地域で親しまれています。南北朝時代の合戦地として知られる「井出の沢古戦場」に隣接し、境内には約200本の梅が咲き誇る梅林や美しい弁天池が広がるなど、歴史と豊かな自然が融合した憩いのパワースポットです。
現地レポ|実際に訪れた感想
今でこそ緑豊かで美しい神社ですが、ここは建武2年(1335年)、中先代の乱で北条時行の軍と足利直義の軍が激突したまさにその場所。鎌倉街道の要所であり、かつては旅人が足を休める湧き水(井手の沢)のオアシスだった場所が、一転して大激戦の舞台になったと思うと、一歩一歩踏みしめる参道の重みが変わってきます。拝殿の左手奥、愛宕社のさらに奥に進むと「史蹟 井手の澤」の石碑と解説板がひっそりと佇んでいました。かつてこの湧き水で戦死者を弔ったことが、この神社の起源にも繋がっているそうです。
【あわせて巡りたい周辺観光スポット】
町田天満宮、南大谷天神社、武相荘
Kanataの神社・お寺めぐりナビ

