【赤坂氷川神社の概要と歴史】
東京都港区赤坂に鎮座する赤坂氷川神社。徳川第8代将軍・徳川吉宗公のご寄進により現在地に社殿が建立され、現在残る本殿・拝殿・幣殿(東京都指定有形文化財)は関東大震災や第二次世界大戦の空襲を奇跡的に免れ、江戸当時の姿を今に伝える貴重な木造建築物です。東京十社の一社に数えられ、縁結び・厄除け・家内安全の強力なパワースポットとして広く親しまれています。
【歴史と由来】平安時代創建と徳川吉宗公建立の社殿が今に残る古社
赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)の創祀は、天暦5年(951年)東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと夢中で御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまります。
これより凡そ100年後の治暦2年(1066年)の夏、関東一円に大きな旱魃(かんばつ)があり、苦しむ村人たちが社に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめ、その雨量は川ができるほどであったようです。1730年に徳川吉宗の命で現在地に移されました。以降、江戸幕府から厚い信仰を受けました。明治元年、明治天皇より新しい首都東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京十社」の一社に数えられております。安政の大地震、関東大震災、東京大空襲などの災禍を免れ、創建当初の姿を現在に伝えています。
【ご祭神とご利益】素戸嗚尊らが授ける厄除け・縁結び・商売繁盛のご神徳
主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)。氷川の名称の由来は、出雲国 簸川(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流は御祭神 素盞嗚尊の「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」の舞台と伝えられている為だと思われます。
- 縁結び:男女の縁だけでなく、友人・家族・仕事・子宝・学業など、あらゆる良質なご縁を結ぶとされています。
- 厄除け・家内安全・商売繁昌:災いを退け、暮らしや仕事の基盤を守るご利益があります。
【赤坂氷川神社の見どころ&参拝順序】
【氷川坂側の参道】閑静な坂道から緑の境内へと続く情緒ある参道

赤坂氷川神社の本来の魅力を味わうなら、東側(港区赤坂6丁目方面)の「氷川坂」に面した鳥居から入る参道が最もおすすめです。ここが神社設立当時からの最も古い参道とされています。

鳥居をくぐるとすぐに、江戸時代の面影を残す美しい丸みを帯びた石の太鼓橋が現れます。かつては下に池(または水路)があり、神域に入る前の「清めの境界線」としての役割を果たしていました。現在は水がありませんが、周囲の木々の影と調和した光景は非常に厳かです。

太鼓橋を渡って社殿まで行けますが、ちょっとした崖を登る事になるので、少し散策したら氷川坂側の参道まで戻って階段を伸びります。

この参道は、両脇からは頭上を覆うように木々が生い茂り、外のビル群が完全に視界から消えるため、最も「静寂のオアシス」を感じられるルートだと思います。


階段を登りきった先に狛犬が鎮座しています。この狛犬は宝永4年(1707年)江戸時代中期に彫られた非常に古い狛犬です。東京の神社にある狛犬の多くは明治以降に再建されたものですが、ここの狛犬たちは戦火を免れたため、当時の荒削りながらも力強い「江戸職人の彫刻の粋」を今も見ることができます。
【大鳥居側の参道(南部坂側)】重厚な石鳥居が立ち誇る表参道の参道

もう一つは、六本木アークヒルズやアメリカ大使館宿舎に近い、南側の「南部坂(なんぶざか)」方面から入る参道です。 こちらの入り口には、非常に立派で大きな石造りの鳥居が建っています。

鳥居の先には少し急な石段があり、階段の両脇には江戸時代に大名や有力者たちから寄進された趣のある石灯籠(いしどうろう)が並んでいます。• 階段を上りきると、パッと視界が開けて本殿正面の広場(境内)に到着します。
それぞれの参道が合流し、本殿へと向かう正面の直線ルート(表参道)に木造の門が見えてきます。
【中門と社殿】江戸時代の姿を今に伝える東京都指定有形文化財

中門(ちゅうもん)は、神社によっては「神門(しんもん)」や「楼門(ろう門)」と呼ばれることもある、御社殿の正面を守る非常に重要な木造の門です。社殿と同じく享保15年(1730年)に、8代将軍・徳川吉宗の命によって建てられました。門の開口部がちょうど「額縁(フレーム)」のような役割を果たし、渋い木造の門の向こう側に、鮮やかな朱塗りの御社殿が美しく浮かび上がる構造になっています。

赤坂氷川神社の社殿は、江戸時代中期(1730年)に建てられてから一度も焼失することなく、当時の建物がそのまま現存している東京の神社の中でも極めて珍しく、奇跡的な歴史遺産です。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗公の命によって建立され、東京都の有形文化財(建造物)に指定されています。

社殿は、「権現造り」という贅沢な構造をしており日光東照宮などにも見られる、徳川家ゆかりの神社に多く採用された伝統的な建築様式です。ただし、日光東照宮のような金ピカでド派手な装飾ではなく、全体が深く落ち着いた「朱漆」で塗られています。派手さを抑えた、武士らしい引き締まった美しさが特徴です。地味に見えますが、建物の細部(木組みや屋根の下など)には、職人の手による見事な格子模様や漆の彩色、精巧な彫刻が施されています。派手さ(おごり)は排除しつつも、将軍家が建てた神社としての「最高峰の技術と品格」をしっかりと残しています。
東京にある多くの歴史的建造物は、1855年の安政の大地震、1923年の関東大震災、そして1945年の東京大空襲によってそのほとんどが焼失・崩壊してしまいました。しかし、この赤坂氷川神社の社殿は、周囲が焼け野原になる中、不思議とすべてを免れて無傷で生き残りました。そのため、社殿の柱や梁、天井などはすべて「1730年に職人が組み立てた本物の木」であり、江戸時代の空気をそのまま今に伝えています。このことから、古くから「厄除け(災いから身を守る)」の非常に強いご利益があると信じられています。

氷川神社のおみくじで、もっとも特徴的なのが、2つのさくらんぼが赤い糸で結ばれた形をしたおみくじです。おみくじを引いた後、さくらんぼの片方は境内の「願の木(梛の木)」に結びつけ、もう片方は御守りとして持ち帰ることができます。

他にも、コロンとしたフォルムが可愛らしい、和紙で作られたはりこ干支みくじ。干支の置物の中におみくじが入っています。その年の干支や自分の生まれ年の干支を選び、おみくじを読んだ後は、置物(張り子)を自宅のインテリアや縁起物として飾る人が多くいます。
【大イチョウ】神社よりも長い歴史を重ねた巨木

この大イチョウは、現在の社殿が徳川吉宗によって建てられる(1730年)よりもはるか前、江戸時代初期の1600年代前半からこの土地に自生していたとされています。樹齢は約400年〜450年と思われます。

赤坂の街がまだ大名屋敷や武家地として開発される前の原風景を知る、まさに「土地の主」のような存在です。
【四合稲荷と境内末社群】勝海舟命名の稲荷神社や歴史ある境内社

境内にある末社の中で、最も知名度が高い神社で氷川坂側の参道途中にあります。幕末の英雄・勝海舟が赤坂に住んでいた際、近隣にあった4つの由緒ある稲荷(古呂故、地主、本氷川、玉川)をこの地に一つにまとめた(合祀した)ことから、「4つの稲荷を合わせる ➔ 四合(しあわせ)」と海舟によって名付けられました。
その名の通り「幸福(しあわせ)」を呼び込むお稲荷さんとして、仕事や恋愛、人生の開運を願う多くの参拝者が訪れます。

赤坂氷川神社の境内南側(表参道側)にひっそりと佇む「九神社(くじんじゃ)」は、その名の通り、かつて地域の各所にあった「9つの重要な神社」を一つにまとめてお祀りした、大変贅沢な末社です。天祖、春日、鹿島、八幡、 諏訪、秋葉、厳島、金刀毘羅、塞(集落の境界を守る神)の9つ
江戸時代、これらの9社は氷川神社の広大な境内の各所や、周辺の赤坂の街にバラバラに鎮座していました。それらの神社へ遠くから手を合わせるための「遥拝所(ようはいじょ)」として機能していたのが九神社の始まりです。1945年の東京大空襲により赤坂一帯は焼け野原になった為、再開発と共に再び現在の赤坂氷川神社の境内へと戻され、1つの美しい社殿へと合祀されました。

境内西側(手水舎のすぐ奥)にひっそりと佇む「山口稲荷社(やまぐちいなりしゃ)」は、第二次世界大戦が本格化する前まで、現在の赤坂3丁目にあった「山口邸」という個人の邸宅の敷地内(邸内社)でお祀りされていました。終戦後、時代の移り変わりや街の開発に伴い、個人の敷地から現在の赤坂氷川神社の境内へとうつされ、末社として一般の人も参拝できるようになりました。
【山車展示場】江戸の祭礼文化を現在に伝える伝統の山車

これらは、毎年9月に開催される歴史ある「赤坂氷川祭」で実際に街に曳き出されて大活躍する本物の山車です。この山車の最大の特徴は、江戸型山車(えどがただし)と言われる「人形や上の部分がエレベーターのように上下にスライドするカラクリ」がついている点です。

当時のお祭りは、江戸城の中に入って将軍様に山車を見せる「上覧(じょうらん)」が行われていました。しかし、お城の狭い門をくぐる際、背が高すぎる山車は引っかかってしまいます。そこで職人たちは、「城門をくぐる時は高さを低く下げ、くぐり抜けた後に一気に高く立ち上げる」という驚きの伸縮ギミックを開発しました。当時の江戸職人の最先端の技術と「粋」が詰まったデザインなのです。
【作品の舞台とゆかり】物語のモデル地としても愛される緑豊かな境内

1990年代のアニメ「美少女戦士セーラームーン」で、火川神社の名で登場し、セーラーマーズ・火野レイが巫女をしている神社は2つの氷川神社が組み合わされてモデルになったと言われています。作者の武内直子先生が当時住んでいた「港区・麻布十番」の街です。
麻布十番のすぐ近くにある「麻布氷川神社」をベースにしつつ、徳川将軍家ゆかりの非常に立派な社殿や深い森を持つ「赤坂氷川神社」の美しい境内をミックスすることで、あの魅力的な「火川神社」の世界観が作られたのだと考えられます。レイちゃんたちが境内のベンチでおしゃべりをしたり、お参りをしたりする「境内の全体の雰囲気や社殿の景色」は、「赤坂氷川神社」がモデルになっています。
アニメでよく描かれる、印象的な「神社の入り口の鳥居」や「そこへ続く坂道・石段」の風景は、麻布十番(元麻布)にある麻布氷川神社がモデルとされています。
【赤坂氷川神社 御朱印】

【赤坂氷川神社の現地参拝レポート&評価】
赤坂氷川神社 現地レビュー・評価スコア
| 評価項目 | スコア | 特徴・ワンポイント |
|---|---|---|
| アクセス | (5.0) | 東京メトロ千代田線「赤坂駅」、日比谷線・大江戸線「六本木駅」、南北線「六本木一丁目駅」等より徒歩約5〜8分の抜群の立地 |
| 歴史・由緒 | (4.0) | 天暦5年(951年)創建。徳川8代将軍吉宗公建立の社殿が関東大震災・東京大空襲を奇跡的に免れて現存する古社 |
| 自然・景観 | (4.0) | 東京都指定天然記念物の樹齢約400年の大イチョウをはじめ、都心・赤坂にありながら豊かな緑を保つ情緒あふれる境内景観 |
| 規模 | (4.0) | 江戸都指定有形文化財の本殿・拝殿、楼門風の石鳥居、九基の摂末社や勝勝海舟ゆかりの史跡が点在する見応えある境域 |
| 御朱印種類 | (4.0) | 通常御朱印に加え、月替わりの和紙御朱印や四天王寺等とのコラボ・季節限定朱印、人気のかわいいお守り(さくらんぼ守等)が充実 |
| 静けさ | (3.0) | 赤坂・六本木の繁華街・ビジネス街に近いため参拝客や挙式参列者が絶えないが、境内奥は静謐で落ち着いた雰囲気が漂う |
現地レポ|実際に訪れた感想
都心部の中でもひときわの喧騒から遮断され、時間が止まったような雰囲気でした。重要文化財・天然記念物など歴史があり、四季折々に様々な表情も豊かだと思います。緑に覆われているせいか、日の光が抜ける感じで静かな神社の雰囲気がよかったです。また参拝したいと思います。
【あわせて巡りたい周辺観光スポット】
乃木神社、日枝神社、国会議事堂、東京タワー、増上寺
Kanataの神社・お寺めぐりナビ

