【至登山 天嶽寺 概要】
至登山 天嶽寺(しとうざん てんがくじ)は1478年(文明10年)創建。江戸城を築城したことで高名な武将・太田道灌(おおたどうかん)が、自身の伯父である僧侶「専阿源照(せんあげんしょう)」を開山として招いて創建しました。徳川将軍家は、久伊豆神社や天嶽寺に何度も足を運んだ場所であり、江戸時代になると徳川家康から15石の寺領(朱印地)を授かり、近隣の寺院を統括する「触頭(ふれがしら)」という高い地位に置かれました。
ご本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀られております。※浄土宗の教えにおいて最も重要とされる仏様です。
【天嶽寺 薬医門】
天嶽寺の入り口に構える薬医門は、格式高いお寺にふさわしい「黒塗り」で仕上げられており、通称「黒門」として地域で親しまれています。

第4代の住職が正親町(おおぎまち)天皇の第三皇子だったと伝えられており、その縁から山門の鬼瓦には非常に珍しく皇室の象徴である「十六葉菊花紋」が刻まれています。この黒い薬医門をくぐった先に、徳川家康から許された「赤門」が見えてきます。
【天嶽寺 赤門】

家康公からのお墨付きを得た証として、境内には鮮やかな朱塗りの「赤門」が建立を許され、今も当時の格式を伝えています。久伊豆神社と同じく、2代秀忠・3代家光も鷹狩りの際に何度もこのお寺へ立ち寄りました。

赤門の中央に鬼の姿をした彫刻(邪鬼)があります。
仏教において「邪鬼」は、人間に災いをもたらす悪い鬼とされています。しかし、お寺の門や本堂の屋根の近くに配置される場合は、「改心して、今度はその強い力でお寺に悪いものが入ってこないように見張っている(魔除け・方位除け)」という意味に変わります。重い屋根を「ふんぬー!」と必死に支えるような、どこかコミカルな赤鬼ですね。
【天嶽寺 鐘楼堂】

江戸時代の元文元年(1737年)に鋳造された古い歴史ある鐘がありましたが、第二次世界大戦中の金属類回収令によって、一度お寺から手放されてしまいました。戦後、お寺のシンボルである鐘の音を再び地域に響かせるため、1965年(昭和40年)に新しい梵鐘が再鋳造され、現在の鐘楼堂に掛けられました。
【天嶽寺 本堂】

江戸時代の天嶽寺は、境内に5つの塔頭(たっちゅう:脇寺)を従え、越ヶ谷宿の全住民が檀家だったと言われるほど広大な大寺院でした。しかし、近代に入り大きな火災によって古い本堂が焼失してしまいました。現在の本堂は、1966年(昭和41年)に再建された物です。
【至登山 天嶽寺 近くにある観光スポット(徒歩30分圏内)】
久伊豆神社
【至登山 天嶽寺 アクセス】
管理人の感想
参拝した日はちょうど他家のご法事の最中だったため、ご本尊や市指定文化財の「涅槃像」が安置されている本堂の内部、境内の細かな見どころなどを詳しく見て回ることはあえて控えました。徳川将軍家との深い結びつきや、門に彫られた小さなお鬼(邪鬼)の彫刻など、まだまだ興味深い見どころがたくさんあるお寺です。今回は遠くからそっと手を合わせる形になりましたが、次はお隣の久伊豆神社の藤が見頃を迎える季節に、またこちらも時間をかけてゆっくりと境内を散策してみたいと思います。
【御朱印・絶景】日本の神社仏閣めぐり – JAPAN SHRINE GUIDE 




