【草津山 光泉寺 概要】
草津山 光泉寺(そうしんざん こうせんじ)は、養老5年(721年)に行基が草津を訪れた際、病人のために祈祷したところ温泉が湧き出したと伝えられています。その優れた泉質を持つ温泉を守り、病を癒やす場所とするため、自ら薬師如来像を彫って安置したのが始まりです。この由来から、有馬温泉(兵庫)や山中温泉(石川)などと並び、「日本三大温泉薬師」の一つに数えられています。
その後、寺院は一時衰退しましたが、建久4年(1193年)、源頼朝が草津を訪れた際、それまで薬師堂などと呼ばれていた名称を「光泉寺」に改称したとされ草津の領主であった湯本氏によって境内が整備・再建されました。
御本尊は、薬師如来(やくしにょらい)を祀られております。
【草津山 光泉寺 階段】
光泉寺の階段は、草津温泉のシンボルである「湯畑」からお寺へと続く、非常に象徴的な場所。

山門へと続く階段(約120段)を登り切り、山門を背にして振り返ると、眼下に湯畑の全景が広がります。ただの通路ではなく、草津を訪れたら必ず一度は通るべき「絶景と健康のスポット」と言えます。
【草津山 光泉寺 山門】

記録では「正治2年(1200年)に領主・湯本氏によって境内が再建・整備された」際に現在の形に繋がる基礎ができたとされています。光泉寺は歴史の中で何度も火災に見舞われており、現在の山門は江戸時代以降の再建、あるいは後世の修復を経ていると思われます。

門の両脇には金剛力士像(仁王像)が安置されており、お寺を守る守護神として睨みをきかせています。
【草津山 光泉寺 鐘楼堂】

光泉寺の鐘楼堂(しょうろうどう)は、山門をくぐってすぐ右手にあります。吊るされている鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたもので、一般の参拝客も鐘を突くことができます。
【草津山 光泉寺 本堂】

光泉寺の境内中央に建っている本堂は、1971年(昭和46年)に完成したものです。光泉寺の長い歴史の中で、本堂は火災などの影響により何度も建て直されており、現在の建物は「5回目」の再建にあたり鉄筋コンクリート造りで、雪深い草津の環境に耐えられる堅牢な構造になっています。
【草津山 光泉寺 釈迦堂】
釈迦堂(しゃかどう)は、1703年(元禄16年)に建立された光泉寺の境内で最も古い建物です。300年以上前の姿を今に伝える貴重な木造建築で、当時の建築様式を色濃く残しています。

御本尊は、釈迦如来(遅咲き・願いを叶える仏様)を祀られております。
長らく「どこの誰が作ったか分からない仏像」としてひっそりと安置されていました。しかし、2005年の調査の結果、奈良の東大寺を再興した高僧・公慶上人(こうけいしょうにん)の作であることが判明しました。約300年もの間、その価値を知られずに静かに佇んでいたことから、「遅咲き如来」と名付けられました。
【草津山 光泉寺 五重塔】
光泉寺の五重塔は、2023年(令和5年)に完成しました。江戸時代の文化・文政期(1804〜1830年)に一度計画されましたが、火災などの歴史的事情で断念された経緯があります。

2023年の完成は、まさに「200年越しの夢」が叶ったわけですね。
【草津山 光泉寺 湯浴み弁財天】

湯浴み弁財天(ゆあみべんざいてん)は、行基が見つけた輝く泉にちなんで「慈悲の泉」と呼ばれています。
【草津山 光泉寺 真言宗高祖弘法大師尊像】

本堂前には、2019年(令和元年)に建立された「真言宗高祖弘法大師尊像」が安置されています。光泉寺は奈良時代の行基による開山と伝わっていますが、平安時代以降に真言宗(現在は真言宗豊山派)の寺院となりました。真言宗の寺院において、宗祖である弘法大師の像を本堂前に安置することは、信仰の象徴として極めて一般的です。
【草津山 光泉寺 ライトアップ】

夜は境内の五重塔や山門下、薬師堂が毎晩ライトアップされ、湯畑周辺から幻想的な夜景を楽しめます。

【高峯山 天寧寺 近くにある観光スポット】
草津温泉湯畑、白根神社
【草津山 光泉寺 アクセス】
管理人の感想
昼間は青空に朱色の五重塔が映え、階段からは活気あふれる湯畑の全景が見渡せます。それが夜になると一変。ライトアップされた境内は静寂と幻想的な光に包まれ、湯けむりが夜の闇に浮かび上がる様子は美しかったです。この「動」の昼と「静」の夜の違いこそ、光泉寺の醍醐味だと感じました。境内に咲いていた遅咲きの桜が本当に綺麗でした。厳しい寒さを乗り越えて、少し遅れて凛と咲く姿は、まさにこの寺の象徴である「遅咲き如来」様とも重なります。草津温泉と合わせて素晴らしい参拝となりました。
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