【筑土八幡神社 概要】
筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)は、嵯峨天皇の時代(809年 – 823年)に創建。付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれています。天台宗の僧 円仁(えんにん:794〜867年)慈覚大師)が東国へ来た際に祠を立て、伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したといいます。筑紫(つくし:古代から使われる福岡県や北部九州、あるいは九州地方全域を指す古称)の宇佐神宮の宮土をもとめて礎(いしずえ)としたので、筑土八幡宮と呼ばれるようになりました。
ご祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)を祀られております。
【筑土八幡神社 】

神楽坂と飯田橋の間にあり、急な階段が参道になっています。
【筑土八幡神社 石造鳥居】

参道途中にある石造鳥居は、1726年(享保11年)に当時常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納された鳥居です。現在は新宿区内最古の鳥居として、新宿区登録有形文化財(建造物)に指定されています。
【筑土八幡神社 社殿】

階段を登りきると比較的広い境内に出ます。境内脇には白の沈丁花(ジンチョウゲ)が咲いていました。花言葉は「永遠」「栄光」「不死」「不滅」です。

文明年間(1469年 – 1487年)にこの地域を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられましたが、第二次世界大戦による戦災で全焼。現在の社殿は戦後再建された鉄筋コンクリート造です。
【筑土八幡神社 庚申塔】
太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の1664年(寛文4年)に建立された石造庚申塔です。

三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しいとされ、現在は新宿区指定有形民俗文化財に指定されています。
【筑土八幡神社 末社 宮比神社】
古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、1907年(明治40年)に現在地に遷座しました。1945年(昭和20年)大東亜戦争時の米軍による空襲で焼失しましたが、飯田橋自治会が1962年(昭和37年)寄付を募って再建しました。

ご祭神は宮比神で、大宮売命(おおみやのめのみこと)または天細女命(あめのうずめのみこと)ともいわれます。
【筑土八幡神社 平将門伝説】
1616年(元和2年)に江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の隣に移転し、津久戸明神社がありました。第二次世界大戦による戦災で全焼後、千代田区九段北に移転し現在は、築土神社(津久戸明神)となっています。
現在、境内には将門を祀る看板や像はありませんが、筑土八幡神社(旧:津久戸明神があった地)で江戸時代まで将門を祀っていた為、将門伝説を持つ場所として知られています。
【筑土八幡神社 近くにある観光スポット(徒歩30分圏内)】
赤城神社、東京大神宮、小石川後楽園、市谷の杜 本と活字館、市谷亀岡八幡宮、靖國神社
【筑土八幡神社 アクセス】
管理人の感想
個人的には宇佐神宮と結びつけが、これまでの八幡神社には無かったので調べてみると現在、筑土八幡神社の住所は、筑土八幡町ですが、直ぐとなりは津久戸町です。日本語「つくど」の読み方は一緒で後から漢字をあてたと考えられます。つまり津久戸明神があった為、この周辺は津久戸町だった可能性もあり筑土は移転後に付けられたとも考えられます。津久戸の名前を意図して消したと考えると、平将門伝説に信憑性が少し出てきます。
【御朱印・絶景】日本の神社仏閣めぐり – JAPAN SHRINE GUIDE 





